2015年11月22日日曜日

何を「売る」べきか。

皆さん、こんにちは。原田武夫です。
公務員からの起業を考えているこのブログ。
googleの検索広告であるAd wordsをかけています。

「公務員 起業」で検索すると上から2番目に出てきます(右の「広告」のところ)。



もっとも最近、Ad wordsが今一つだなぁということは流入経路のログ解析をすると分かります。
なかなか難しい・・・(汗)

ただし、おかげさまで「公務員起業への道」というタイトルそのものですと、バッチリです。
たくさんの皆様におよみいただいているからこそ、のgoogleのランキングですね。
心から感謝したいと思います。



さて。

今現在、公務員である皆さんが「起業しよう!」と思って悩むのはまず最初に何を売るべきかだと思います。
ビジネスには大きく分けて二つの要素があります。

「売り物」
「売り方」

この2つです。

本屋さんにいくと「売り方」の本はたくさんあります。
「マーケティング」や「営業」に関する本です。

しかし「売り物」についての本は案外少ないことに気付きます。
ましてや「私は何を売ることが出来るのでしょう・・・」なんていう、公務員起業の志望者の皆さんが抱きがちな悩みに真正面から答えてくれる本は全くありません。

そしてしばしば「公務員から起業しました!」というホームページを見ていると気づくことがあります。
それは「公務員からお店屋さんになりました」という例がよく示されているということです。
つまり店舗経営です。
花屋さんや、ラーメン屋さん、等などです。

しかし端的に言って私は公務員起業を目指す皆さんがいきなり店舗経営を始めるのをお勧めしません。
なぜならばこれを始めた途端、次のような問題が浮かび上がって来るのは目に見えているからです:

―店舗を借りるのに敷金としてまとまったお金が必要になる。これを用意するのが大変
―まだビジネスに慣れていないのに家賃という固定費をかけすぎるのは危険
―いざ始めたが売れないとなった時に売る場所を移すことが原則出来ない

アントレプレナーシップ(起業)の基本。
それは固定費をかけず、身軽に始めることです。

無論、「強い想い」「公憤」は必要です。
それが無ければ公務員起業は続きませんので。

しかしだからといってどんどんお金を使うべきではないのです。
ビジネスとは「お金をかけずに、いかにしてお金を稼ぐか」だからです。
これが「お金というと天(=税金)から降って来る」公務員の世界とは全く違うところです。

率直に申し上げましょう。
公務員の皆さんは、これまで担当してきた分野の「専門知識」をまずは売り物にすべきなのです。

「そんなこと言っても、専門知識と言えるほど勉強していないし・・・」

読者の皆さんはきっとそう不安に感じるのではないかと思います。
その気持ち、私もよく分かります。

公務員の世界は実のところ「泥縄」です。
「上から」「外部から」突き上げられるから勉強する。
ほとぼりが冷めれば勉強しなくなる。

その繰り返しなので、本当の意味での「専門知識」はなかなか身につかないものです。
あえていえば「専門知識があるフリをしている」といったところでしょうか。

それでもなお私の経験から言って、それでもなお広い意味での「専門知識」こそ、公務員起業の際には最初の売り物にすべきなのです。
なぜでしょうか。

その理由は3つあります:

―公務員起業をして「売り物」をお客様に買っていただく際、一番信用があるのはそれでもの業務に関する「専門知識」であるため。普通のアントレプレナーシップであれば非常に手間のかかる信頼・信用を手っ取り早く得る方法である
―「専門知識」について最後にそれが正しいかどうかを判断するのが出身母体である官公庁であるため、仮に不勉強でお客様のニーズに戸惑っても、何とかその場はしのげる場合が多い(
「次回までに調べますが、とにかくそういうことになっています」)
―お客様が欲しいのは専門「知識」そのものではなく、むしろそれにまつわる官公庁内における実際の人脈・勢力分布に関する経験である場合が大半である

公務員でいるとなかなか分からないのですが、一般の民間人にとって「お役所の届け出」は簡単なものであっても実に厄介です。
特に法律に疎い御客様であればなおさらそうです。

「この届出、本当に受理されるのかな・・・」

そう不安に感じられています。
実はそこが、公務員アントレ(=公務員から起業した人のことを今後、こう呼ぶことにします)の皆さんがチェックすべきポイントなのです。

「安心してください、この届出のポイントはここで、こうすれば必ず大丈夫ですから」
「窓口に出て来るAさんは優しいですけれども、実際の決裁をするBさんは数字に細かいですから気を付けて下さいね」

そんな一言が、一般人であるお客様にとってはたまらなく有難いのです。
公務員の皆さんにとってはちょっとビックリかもしれませんが、それが娑婆=世間様の現実なのです。

もっともこれで公務員起業が完結してしまうわけではもちろんありません。
なぜならばお客様は必ず次にこう聞いてくるからです。

「ありがとうございます。その点については分かりました。しかし、この次の点については・・・」

専門知識を教える職業のことを、広い意味でコンサルティングと言います。
しばしばこれは知識の切り売りだと考えられています。しかしそんな風な考えは大きな誤りです。

人に教えて差し上げ、その感謝のおしるしとしてお金を戴くということ。
本当にそれが出来るようになるためには、お客様に教える内容の実に「10倍近く」の知識を勉強し、頭の中に常時ストックしておく必要があります。

しばしば誤解する人がいるのですが、「俺・私は公務員だったから・・・」と官公庁を辞めるや否や、勉強することを止めてしまう人たちが後を絶ちません。
そうした人たちは最初は良いのですが、たちまち知恵のストックが枯渇し、「売り物」が無くなってしまうのです。

お客様からの第2の質問・リクエストは必ずしも公務員であった皆さんの専門分野ではないかもしれません。
それでも少しでもとっかかりがあれば「分かりました、少々お時間をください」と引受け、一生懸命に答えを探すのです。

実はこれこそが「事業がうまくいかなくなったら素早く方向転換を図る」というビジネスの基本中の基本なのです。
これを「ピヴォット(pivot)」といいます。
そしてこのピヴォットを巧みに出来るか出来ないかは、何も公務員起業だからこそ重要なわけではないのです。
ヴォラティリティが経営環境で日増しに高まる現在においては、全ての起業家・企業家にとって不可欠な能力。
それが「ピヴォット」なのです。

まとめ。
「公務員起業で最初に目指すべきは自らの専門知識を”売り物”にすることである」

次回はこうした「売り物」が本当に価値があるかどうか、まずは試してみる方法について書きたいと思います。
どうぞ、御楽しみに。

2015年11月22日 東京・仙石山にて
原田 武夫記す




2015年11月16日月曜日

大切なのは「公憤」、そして「お陰さん」。

最初のコラムに続けて、2回目のコラムもたくさんの方々が読んで下さっています。
皆様、本当にどうもありがとうございます。

やはり「公務員から起業すること」には高い関心が寄せられているのでしょうね。
もちろん全くの野次馬根性という読者の方もいらっしゃると思います。
しかし、中には切実な悩みとしてお読みになられている方も大勢いることでしょう。

そこで今回も、前回に引き続き、「今からすぐ出来る公務員企業の準備」について書きたいと思います。まずはウォーミング・アップとしてよく読んでみて下さい。

起業をする、となるとやれ「ビジネス・モデル」だの、「資金調達」だのと勧めてくる専門家がいます。
大学でも経営論の学者先生たちがまずそう教えるようです。

ちなみにビジネス・モデルといえばこれ、ですね。
かの名著「ビジネス・モデル・ジェネレーション(Business Model Generation)」に記されている図です。



私は数多くの企業で研修を行っており、この図をよく紹介します。
「まずは自分自身が勤めている会社のビジネス・モデルを確認してみましょう」というわけです。

経営者、しかも創業経営者でないかぎり、意外に意識しないのがこのフレームワークです。
しかし過不足なく自社のビジネス・モデルを知らないと困ることがあります。
それは経営状況が悪くなりかけて、一生懸命に皆で「次の一手」を探す時のことです。

このフレームワークどおりに自社の状況を埋めていけば、「要するにウチの会社がやっていることはこれでしょ」という図が出来上がります。
あとはその図に基づきながら、「ここが弱そうだから、ここに梃子入れしよう」とか考えれば良いわけです。実に便利なものです。

しかし、実のところ「起業」の際、こんなビジネス・モデルは一切不要なのです。
なぜならば前回も書きましたが「よく分からないけれども、俺・私がやらなければどうする」とわけもわからずにとにかく突っ込むのが起業だからです

「売り物」も「売り方」も全く分かりません。
それでも突っ走る。
それが起業(アントレプレナーシップ)の実態なのです。

したがってビジネス・モデルをこのフレームワークにしたがって書くのは、こと起業においては「二の次」だということをよく覚えておいてください。
まずはやってみること。
それを心掛けましょう。

実はそんなことよりも、公務員から起業するにあたって、あらかじめどうしても行っておくべきことが一つあるのです。
何だと思いますか?

それは皆さんの心の中にある「公憤」の確認です。
「義憤」といってもよいかもしれません。

公務員が娑婆に飛び出して起業したとします。
すると、周囲からは必ずこう尋ねられるのです。

「あなたはなぜ公務員の地位を捨てたのですか?」

もう本当に「これでもか、これでもか」というほど聴かれます。
私は外務省を自主退職してから最初の2年間ほどは3日に1回はマスメディアの取材を受け、テレビ・ラジオに出演していました。
その度にこのことについて聴かれたのです。
正直・・・うんざりします。

ところが起業するとなると、これが肝心かなめなのです。
どうしてでしょうか。

考えてもみてください。
あなたはなぜ、最初に就職する際、民間企業ではなく公務員の道を選んだのですか?

単にお金のためですか?
それとも地位のためですか?
・・・違いますよね。

公務員の道を選ぶのは、どうひっくり返っても社会の一部に過ぎない「民間の世界」には絶対に存在しない”公(おおやけ)”を憧れたからに違いありません。
カタい言葉をつかうならば「公益」とでもいうべきでしょうか。

それでは「公益」、あるいは「国益」とは何なのでしょうか。
私は外務省で「法令班長」を務めていました。
その時に学んだこと、書きましょうか?

国益とはズバリ、「国民の生命と財産」です。
そしてこれを守り、増進していうことこそ、公務員の使命(ミッション)なのです。
読者の皆さん、御存じでしたか?

しかし、公務員生活を送っていると必ずある段階で現実とこの使命との間に横たわる大きなギャップに気付かざるを得ません。
「何で”公”ではなく、”私”にこの幹部は拘っているのか?」
「この政治家は”公”、すなわち全体の利益とは相反した要求をしているのではないか?」
「公益を促進するためにはこの政策が必要なのに、なぜ認められないのか?」

そこで感じる、やり場のない怒り。
それが・・・「公憤」「義憤」なのです。

これをまず確認してください。
そして「公憤」「義憤」を感じていないのだとすれば、その段階で起業は諦めて下さい。

逆に「公憤」「義憤」が溢れて仕方がないという方。
オメデトウございます!!
あなたのその「公憤」「義憤」が続く限り、起業は成功し、やがて大輪の花を咲かせるはずです。

なぜか?
その理由は、民間企業の世界(”娑婆”)では、自分自身の心そのものと一体化するほどのミッション・ステートメントを創り上げることが全く不可能だからです。
企業経営者たちはあの手この手をつかって、自らが感じた使命(ミッション)を従業員たちに刷り込もうとしますが、ほとんどの場合、失敗します。
当事者意識を伝達することが出来ないのです。
なぜならば・・・民間経済における使命(ミッション)は所詮、カネ勘定だからです。

しかし公務員である皆さんは違います。
「公への奉仕」と「現実」の挟間で悩み続け、ついにはそこで感じる公憤・義憤に耐え切れなくなり、「それなら俺・私がやってやる」と組織を飛び出すこと。
その様な形で起業するからです。
そして多かれ少なかれ、そのことに理解を抱いてくれ、分かち合ってくれる人たちが一緒に企業組織を創り上げていってくれます。

だから「公憤」「義憤」があなたの胸の中に本当にあるかどうか。
これこそ、何を差し置いてもまずはチェックすべきだと私は想うわけです。

・・・
そしてもう一つ。
今日この瞬間から皆さんがすぐに出来ることを一つ教えて差し上げましょうか。

それは「お蔭さん」を知ること、です。
その気持ちを大切にすること、です。

私は外務省を自主退職して以来、原則として会食をする時、必ず私が支払うようにしています。
例えば相手が目上の裕福な方であるとか、あるいはどうしても状況が許さない時は別です。
そんな時は喜んでご招待を受けます。

しかしそんな時でも必ずすることがあるのです。
それは自分自身が探して、(時に忙しい中であっても)自分で買い求めた手土産を会食会場にまでお持ちすることです。

お土産を選ぶ時にはじっとまずは先様のことを考えます。
何がお好きなのか。
家族構成は?
先様を支えるスタッフの方々は男性か、女性か?
・・・などなど、イメージしながら「これだ」と思うものを奮発して買うわけです。

なぜか、分かりますか?
御馳走して頂いたらば、その場で「お蔭様」に心から感謝しながら、先様から賜ったご厚情に報いてしまうのです。
「宵越しの銭は云々」と昔からよく言いますが、「宵越しのお蔭様は握りしめ続けない」のです。
その場で報いてしまいます。

そうすると不思議と「そうか、ではまたお誘いしましょう」ということになります。
コミュニケーションが成立します。
暖かい人間関係が成立します。
当然、ビジネス・チャンスは一気に増すことになるのです。

人類学者たちがかつて導き出した結論。
それは「経済とは最初に贈与から始まった」という事実です。

ヒトはたくさんのものを先様からもらうと、ある一定の限界を超えた瞬間にどうしても「お返し」がしたくなるのです。
いわゆる「返報性の原理」です。

実のところ、ビジネスとはこの延長線上にあるものなのです。
逆に言うならば、「お蔭さん」に対して報いることがなければ、ビジネスは永遠に始まることがないのです。

ところが驚くべきことに公務員の皆さんは全くこれとは正反対のマインドセットを最初から刷り込まれているのです。
私は自主退職してからも、しばしば同僚や下僚であった人たちを誘って街に繰り出します。
そして毎回、私が御馳走するのです。

時に1人あたりの単価が数万円ということもあります。
それがその人のその瞬間にふさわしいと思えば私には何の躊躇いもないのです。

すると、びっくりしたことが何時も起こります。
翌日に彼・彼女らから御礼の電話やメールすらないのです。

「忙しいのかな、きっと」とこちらも我慢します。
しかし、1日経ち、2日経ち、3日経ち、そして1週間経っても何も言ってこないのです。

要するに「忙しい」というのですよね。
「国民からのニーズに応えるのに実に忙しくて、メールなど書けないし、電話なぞする暇があるわけがない」というわけです。

無論、公務員をそのまま続けるのならばそれでも良いでしょう。
これに対して「公務員起業」をしたいというのであれば、これでは絶対にダメです。

御礼の一言すら言えないならば、ビジネスの基本である「返報性の原理」を意のままに使うことが出来ないからです。
その結果、お客様となるべき先様をお客様にすることが出来ません。
起業はものの見事に失敗します。

公務員にとって「お客様」はすぐそこにあらかじめ存在しているもの、なのです。
つまりは「国民」です。

これに対して娑婆では全く違います。
そもそもお客様なぞ、存在しないのです。
お客様は創り上げるものであり、「顧客創造」こそ、ビジネスの基本なのです。

そのためにはどうすれば良いのか。
「お蔭さん」に心から感謝し、そのことを言葉として伝え、あるいはモノに託してお届けするのです。
簡単ですよね?
しかし・・・公務員マインドでは絶対に出来ないことでもあるのです。

いかがでしたでしょうか?

「公憤」あるいは「義憤」。
そして「お蔭さん」。

今日から実践してみてください。
その瞬間から・・・皆さんは憧れの「公務員起業」の世界に大きく一歩踏み出すことになるのです。

2015年11月16日 トルコ・アンタルヤにて
原田 武夫記す


2015年11月14日土曜日

起業の勝負は初任給の貯金から始まっている。

読者の皆さん、こんにちは。原田武夫です。

「公務員から起業する」
そんなテーマがちょっとだけショッキングだったのでしょうか?前回=初回の投稿を本当にたくさんの皆さんが読んで下さいました。どうもありがとうございます。

もっとも”筋トレ”だけしていても何も始まりませんよね。
何事もまずはちょっとだけ始めてみることから始まります。

特に起業の場合にはそう、です。
私も、外務省を自主退職して個人事業主となり、最初に年間所得が1800万円を超えたあたりで本格的な「起業」を考え始めました。
その時に、当時から現在に至るまで盟友でいてくれている社長の友人に相談したのです。

「どうやったら株式会社設立という意味での”起業”は出来るのだろう?」

すると盟友社長は立ちどころにこう答えてくれました。

「よく聞かれることですけれどね。しかし”やる奴”はもう既に”やっている”。それが社長業であり、起業ですよ」

全くそのとおりだと思います。
ぐじゅぐじゅ言っている余裕なんてないのです、起業には。
「よく分からないけれども、とにかくやらねば!」と退路を断って前に進むこと。
これが起業なのですよね。
シンクロニシティとか、いろんな言い方がありますが、要するにそういうこと、です。

決断しないこと、が公務員ではしばしば仕事ですが・・・。
それだけに是非、まずは覚えておいてもらえればと思います。
起業、そして経営者になるということは「決断の連続」の日々を過ごすことになるということですから。

さて。
それでは公務員から起業するために、最初の決断はいつ、どういったことについてしなければならないのでしょうか。

その答えはズバリ・・・「初任給の一部を貯金すること」の決断です。
びっくりしましたか?
はたまた「もう遅いよー」と思ってしまいましたか?

いや、何も時計の針を元に戻して「初任給から貯金しましょう」と言っているのではないのです。
実のところ、起業というマネー・フローの世界に入るのであれば、マネー・ストックも考えなければならないということが言いたいのです。

分かりますか?
ちょっと分かりづらいですね。
私の実体験からお話しをしたいと思います。

・・・
あれは確か雑誌の「週刊SPA!」だったでしょうか。
私が外務省で任官した1993年当時、ふと目にした記事があったのです。

「男たるもの、まずは30歳までに1000万円貯金せよ!」

そんなタイトルの記事でした。
不思議だなぁと思って中を読んでみると、要するにこんなことが書いてあったのです。

・30歳頃になると人間誰しもが「俺・私ってこのままで良いの?」と思い始める
・その時、カギとなるのが職業。要するに転職するか、独立するかを考え始めるはず
・ところがそうなってから元手がないのでは話にならない
・起業するならば株式会社。株式会社があればたいていのことが出来る
・そのために必要な元手が、資本金として積むべき1000万円だ
・だから今この瞬間から男子たるもの、貯金に励むべし

当時は会社法で、株式会社を設立登記したいならば資本金として1000万円を積めということになっていました。
今では「1円会社」も設立登記が可能ですが。
しかしそうではなかったわけです。

当時、駆け出し外交官だった私は訳もなくこの”論理”に納得してしまいました。
そして「まずは貯金だ」と肝に銘じたのです。

だからこそ、在外研修で2年間をドイツで過ごした時にも車は買いませんでした。
同期たちがやれBMWだ、アルファロメオだと買っていた時に、です。

大使館勤務になってからもそうでした。
MAZDAの大衆車をリースしてもらっていたのです。

そうこうしている間に、サラリーマンであった父が亡くなってしまいました。
ドイツの地にあって悲嘆にくれていましたが、親切な税理士さんから母、そして私たち
兄弟妹はこんなアドヴァイスを受けたのです。

「お父様の遺産を全員で分割しようとすると税金がかかります。しかし、お子さんたちが相続を一切放棄し、母上に差し出すというのであれば無税なのです。どうしますか」

ははぁ、我が国の民法・家族法は実によく出来ているなぁと思いました。
要するに「内助の功」に最後の最後で報いるという仕組みになっているのです。
こんなこと、巷で売られている「節税本」には全く書いていませんよね?
でも、本当のこと、なのです。

私たち兄弟妹は二つ返事で相続放棄をしました。
しかし、ポイントはここから、だったのです。

ドイツから戻り、妻と結婚した私は最初、東京都・江戸川区に住んでいました。
地下鉄東西線で都心とつながっているところです。
「帰りも近いし、良いかな」
そう思って賃貸の、ちょっとだけ広めのアパートを借りていたのです。

そんなある日。夏のことだったと思います。
夜、地下鉄から降り、高架から階段で降りようとした瞬間に私の目に止まったものがあったのです。

私たちと同じ世代の人々の群れ、です。
一様に疲れた表情をして、黙って歩いています。
その瞬間、私はこう思ったのです。

「ダメだ、ここに住んでいては。自分の家を持とう。一刻でも早く抜け出さなければ」

そしてその週末から、妻と一緒に新居探しを始めました。
たくさんの場所を見ましたが、どうもうまくいきません。
「これはいいなぁ」と思うところ。
そんな家は必ず売価が1億円以上だったのです。
ローンを組んでも住めません。せいぜいのところ、6500万円くらいまでかなと思っていました。

色々と彷徨っている間にたまたまかつて中学・高校時代に慣れ親しんだ郊外の街に、23戸ほど一斉に開発し、街づくりをしているところに出くわしました。
なんでも土地持ちの次男坊がギャンブルで失敗し、競売にかけられたようなのです。
リクルート・コスモスが威信をかけて開発した最初の大規模案件でした。

「よし、ここにしよう!」
そう思って母に話しをしました。
父の亡骸と引き換えに得たあの遺産の一部をもって、支援をしてもらおうと思ったのです。

ところが、当時、巷に出ている節税本にはこんなことが書いてありました。
「よくあるのが親子間の貸借。しかしこれは、必ず税務署の知るところになり、重い贈与税を課されることになるので絶対にやらないように」

どうしようか・・・。
そう思案し始めたころに、リクルート・コスモスが「皆さんお困りでしょうから」と税理士を紹介してくれました。

同社の会議室で面会した税理士は開口一番、こう言って来たのです。

「お母様から融通してもらって現金、しかも即金で買われるのですか?原田さん、役人さんだからといって世の中知らないのにもほどがありますよ。今、ITヴェンチャー株とかで運用したらそのお金が一体どれくらい殖えるか分かっているのですか」



当時、正にホリエモンが世の中でもてはやされ始めた頃でした。
ヤフーや楽天といったITヴェンチャーの株価が株式分割の度に倍増していたのです。
私の心は正直、大いに揺らぎました。

すると税理士がこうも言ったのです。
「今は低金利ですから。固定の安い金利でその分借りてはいかがですか。それがベストですよ」

私は何やら不穏なものを感じました。
「虫の知らせ」とでもいうべきものでしょうか。

その場で即答を避け、例の相続の際に相談した税理士さんにセカンド・オピニオンを求めてみたのです。
するとこんなアドヴァイスを受けました。

「なるほど。そうであれば原田さん、奥様、そしてお母様が3人で共有にすれば良いのではないですか。名義は原田さんにして固定資産税は支払う。そうすれば何も問題はないですよ」

気になったのは母に万一のことがあった場合です。
結局、贈与税は回避したとしても、相続税が後々どーんとかかってくるというのでは意味がないからです。

そう尋ねた私に、税理士さんは笑い声でこう答えてくれました。
「心配はいりません。相続税の計算をする時、税務署が用いるのは公示地価だからです。これは市価より遥かに安いものです。それに建物それ自体は5年もすれば10分の1くらいの価格になってしまいます。問題はありません」

もっとも、ただ一つだけ留意事項がある、とも言われました。
それは「お母様と原田さん、そしてお嫁さんである奥さんがずっと仲が良くあり続けること」だというのです。

ここでも私はひどく納得してしまいました。
我が国の租税法は、「家族円満である」というファミリーが税制上、有利なようにしっかりと考えられているのです。
すごいことだなと感心することしきり、でした。

こうして実に的確なアドヴァイスを受けた私は、例の税理士にあらためて面会しました。
そして「即金で買うこと。ただし3人の共有とすること」を告げたのです。

するとさっきまでこちらを追い詰めるような眼差しで見ていた税理士が、ふと表情を緩めたのです。
そして母の方を向いてこう言いました。
「息子さん、よく勉強されていますね。大したものだと思いますよ」

その時、税理士は何も言いませんでした。
しかし後から考えれば何のことはない、住宅金融支援機構が鳴り物入りで広めようとしていた長期固定金利の「フラット35」を売り込むことが彼の仕事だったのです。
そのことに気付いた時、本当にびっくりしました。

・・・
初任給から始めた貯金。
そして父の亡骸と引き換えに、父からプレゼントされた母の大切なお金。

これらを集めて現金かつ即金で買ったこのころ(2000年頃)、まだ都内にも十分物件はありました。
しかもローンを組んでいませんので、フローという意味での家計へのダメージはゼロでした。

気になるのは「売り始めた直後から下がる住宅価格」という部分です。
しかしそれなりに価値が維持される東京郊外の物件であったため、それほど減価せずに現在に至っています。

そして私は2007年に株式会社を設立登記します。
その後、正真正銘の「経営危機」を体験したことは事実です。

止まらない売上減。
飛ぶように消えていくキャッシュ(現金)・・・。

無借金経営を目指していたのですが、2009年に遂に金融機関からの借り入れを決断します。

するとその時、ようやく実感として分かったのです。
「返済義務の無い不動産を所有していること」がどれだけ意味があるのかということを。

稿をあらためて説明したいと思いますが、銀行や信用保証協会が見るのは正直、ここだけ、なのです。
連帯保証人となる個人としての経営者。
その経営者が預金などと併せ、どれだけの不動産を保有しているのか。
その範囲内においてだけ、金融機関はカネを貸してくれるのです。

それが銀行審査の実態です。

「土地資本主義」とも言われる我が国においては、それが全てなのです。
そしてこのことはやれビジネス・モデルだ、ヴェンチャー・キャピタルだと言われるようになった昨今でも全く変わりがありません。

なぜならば「土地」ほど我が国で足りないものはないからです。
希少価値があるものはないからです。

お分かり頂けたでしょうか?
公務員として採用された瞬間から決まる人生の分かれ道。
それは、何といっても「貯金」なのです。

そして愛すべき家族をヒューマン・キャピタル(人的資本)として育んでいくこと。
その上に立って、初めて起業は成り立つのです。

巷の起業本には一切書いていない「真実」、いかがでしたか?
また次回も、そうした実体験に基づく本当に役立つことを書いていきたいと思います。

2015年11月14日 トルコ・アンタルヤにて
原田 武夫記す

2015年11月13日金曜日

間もなく開かれる禁断の扉。(はじめの一歩)

読者の皆様、はじめまして。原田武夫です。
このブログでは、我が国における「禁断のテーマ」について書いて行こうと思います。
それはズバリ・・・

「公務員から起業すること」、です。

”公務員から起業!?”と思われるかもしれません。
しかし、試しに今、google検索で「公務員+起業」で検索してみてください。
これが結果です。



なんと、驚くべきことに「127万件」もヒットするのですよ!
つまりそれだけたくさんの人たちが関心を持っているということなのです。
”公務員”なのに、”起業する”ということについて・・・。

「公務員は身分が保障されている。だから転職はもとより、起業だなんて一切必要ないはず」
そう思っていませんか?

先日、こんなニュースが朝日新聞に掲載されました。

「公務員もクビになる時代?」

大阪市で人事評価と免職処分を繋ぎ合わせる動きが出ているというわけです。ご覧になった方も大勢いるのではないかと思いますが、それでもなお「あの橋下徹市長だからだろう」とたかをくくってはいませんか?

我が国は莫大な財政赤字を背負っています。
その割合がいかに大きいのかは、他の先進国と比べればすぐに分かります。



ちなみにこういう話すると必ずこうやって反論する人がいます。
「国家としての借金が多くても、対外資産が多ければ差し引き問題がないはずだ」

”馬鹿いっちゃいけない”と正直思います。
なぜならば、ここでいう対外資産の多くは民間企業のものです。国が借金を負っているからといって、「おい、そのカネよこせ」と強奪出来るはずもないのです(もしそれをしてしまったらば共産主義国家です)。

また我が国が大量に持っている米国債ですが、これは「売ることが出来ない代物」なのです。
「そんなバカな」と言われるかもしれませんが、本当のことです。それが戦後の日米同盟におけるお約束なわけです。

借金が莫大な量になっている中、我が国は決死の覚悟で「量的緩和」を行っています。
日本銀行の異次元緩和、です。
要するに、お札を刷りまくっているわけです。

その結果、どうなるか?
明らかにインフレーションになります。
しかも尋常な量ではないので「ハイパーインフレーション」、つまり止まることを知らないインフレーションになるのは目に見えています。

これを抑えるためには金利を引き上げるしかありません。
ところがこれが逆に致命傷になってしまうのです。

なぜならば政策金利を引き上げるということは、要するに国の借金の証文である国債についても、利払いの義務を負う金額が一気に増えることを意味しているからです。

その瞬間、我が国の国家財政は倒れます。
デフォルト、です。すごい勢いで巨体・日本経済が倒れるのです。

そうならないために、ギリギリまで努力を政府はするはずです。
その時、一体何に手をつけるのか?

そこで手を付けるのが・・「禁断の扉」=”公務員の大量解雇”なのです。
まさかと思うかもしれません。
しかし、経営者である読者の方ならばすぐに分かると思います。
倒産寸前でやるべきことはただ一つ。
「固定費」である人件費を徹底して削減すること、なのです。

その瞬間、公務員の皆さんは娑婆におっぽり出されることになります。
容赦なく、です。
ひょっとしたらば、退職金なんて全くないかもしれません。

私はこうした瞬間(「真実の時」)が早ければ2年以内にやってくると考えています。
まずは2017年後半から2018年頃、でしょうか。

危機はその時に向けて一気に高まって行きます。
そうなると優秀な順番で公務員の皆さんは役所を辞めていくはずなのです。
これまた、企業・組織人事の現場では”常識”です。

多くの方がそこで起業を志すことでしょう。
ふと見ると、世間にはたくさんの「公務員出身の成功者」たちがいます。
ちょっとだけ例を挙げてみますと・・・

神田昌典さん(外務省)
岡本行夫さん(外務省)
佐藤優さん(外務省)
一柳良雄さん(通商産業省(現・経済産業省))
村尾信尚さん(大蔵省(現・財務省))

どうです?
実に錚々たる面々でしょう??

しかし、これから「公務員だけれども起業しよう」と思う皆さんにとっては、やや違和感がある諸先輩であることも事実だと思うのです。
何というか・・・手が届かない、というか。

それにこれらの方々は「起業」、すなわち企業を起こすというよりも、一本足打法で頑張っていらっしゃる感じがします。
経営者として、というよりも、公務員時代のバックグラウンドを踏まえて、文字どおりの「タレント(=才能ある者)」として全面開花したというのがこれらの方々の実態なわけです。

誰しもが出来ることではありません。
素晴らしいですね。
しかし・・・これから「公務員だけれども起業しよう」と志す皆さんからすると”遠すぎる話”だと思うのです。

率直にいって、参考にならない。
憧れ、ではあっても。

・・・
私・原田武夫は2005年3月に自らの意思で外務省を辞めました。
在職年数は12年。
最終的な職階は「課長補佐」でした。

そして2007年4月、誰にも教わることなく、それこそ会社の「定款」まで自分でワープロ打ちし(!)、公証人の印鑑をもらって、法務局に提出までしました。
それ以来、経営者として業を営んでいます。

年商は2015年現在、2億5千万円余。
まだまだ、と思います。次に3億円の壁、そして10億円の壁が企業経営の世界では聳え立っているからです。

それでも、足掛け8年間、アントレプレナー(起業者)として全力で駆けてきたことは事実なのです。
最初にゼロから300万円の資本金を「この手」で作った時から。
貴重なアドヴァイスを下さる数多くの心暖かい先輩経営者の方々とのシンクロニシティを楽しみながら、前へ前へと進んできました。

正直、大変なことが全く無かったのかというとそんなことはありません。
たくさんの危機があり、苦難がありました。

しかしそれと同時に、たくさんの幸運があり、喜びがあったことも事実なのです。
私は公務員から始めた職業人生を、自らの意思で「アントレプレナー(起業者)」のそれへと方向転換したことを誇りに思っています。

だからこそ、「自分もやってみようではないか」と思う、今現在、様々な公務員の現場で働く皆さんとの間で、自分自身が体験してきたこと、そこで得た知恵をシェアしたいと思うのです。

なぜならば「官=公」という時代は終わったからです。
「責任ある民=公」なのです。
そしてそれを担うのが他ならぬアントレプレナー(起業者)だからです。

次回から少しずつ、私が実際に体験してきたことを書いていきたいと思います。
経営者として、アントレプレナー(起業者)として。
もちろん、そこで得たノウハウもあますことなく書いていきます。

毎週1回、日本、あるいは世界のどこかで少しずつ書いていきます。
是非、お読み頂ければと思います。

2015年11月13日 トルコ・イスタンブール空港にて
原田 武夫記す