2015年11月13日金曜日

間もなく開かれる禁断の扉。(はじめの一歩)

読者の皆様、はじめまして。原田武夫です。
このブログでは、我が国における「禁断のテーマ」について書いて行こうと思います。
それはズバリ・・・

「公務員から起業すること」、です。

”公務員から起業!?”と思われるかもしれません。
しかし、試しに今、google検索で「公務員+起業」で検索してみてください。
これが結果です。



なんと、驚くべきことに「127万件」もヒットするのですよ!
つまりそれだけたくさんの人たちが関心を持っているということなのです。
”公務員”なのに、”起業する”ということについて・・・。

「公務員は身分が保障されている。だから転職はもとより、起業だなんて一切必要ないはず」
そう思っていませんか?

先日、こんなニュースが朝日新聞に掲載されました。

「公務員もクビになる時代?」

大阪市で人事評価と免職処分を繋ぎ合わせる動きが出ているというわけです。ご覧になった方も大勢いるのではないかと思いますが、それでもなお「あの橋下徹市長だからだろう」とたかをくくってはいませんか?

我が国は莫大な財政赤字を背負っています。
その割合がいかに大きいのかは、他の先進国と比べればすぐに分かります。



ちなみにこういう話すると必ずこうやって反論する人がいます。
「国家としての借金が多くても、対外資産が多ければ差し引き問題がないはずだ」

”馬鹿いっちゃいけない”と正直思います。
なぜならば、ここでいう対外資産の多くは民間企業のものです。国が借金を負っているからといって、「おい、そのカネよこせ」と強奪出来るはずもないのです(もしそれをしてしまったらば共産主義国家です)。

また我が国が大量に持っている米国債ですが、これは「売ることが出来ない代物」なのです。
「そんなバカな」と言われるかもしれませんが、本当のことです。それが戦後の日米同盟におけるお約束なわけです。

借金が莫大な量になっている中、我が国は決死の覚悟で「量的緩和」を行っています。
日本銀行の異次元緩和、です。
要するに、お札を刷りまくっているわけです。

その結果、どうなるか?
明らかにインフレーションになります。
しかも尋常な量ではないので「ハイパーインフレーション」、つまり止まることを知らないインフレーションになるのは目に見えています。

これを抑えるためには金利を引き上げるしかありません。
ところがこれが逆に致命傷になってしまうのです。

なぜならば政策金利を引き上げるということは、要するに国の借金の証文である国債についても、利払いの義務を負う金額が一気に増えることを意味しているからです。

その瞬間、我が国の国家財政は倒れます。
デフォルト、です。すごい勢いで巨体・日本経済が倒れるのです。

そうならないために、ギリギリまで努力を政府はするはずです。
その時、一体何に手をつけるのか?

そこで手を付けるのが・・「禁断の扉」=”公務員の大量解雇”なのです。
まさかと思うかもしれません。
しかし、経営者である読者の方ならばすぐに分かると思います。
倒産寸前でやるべきことはただ一つ。
「固定費」である人件費を徹底して削減すること、なのです。

その瞬間、公務員の皆さんは娑婆におっぽり出されることになります。
容赦なく、です。
ひょっとしたらば、退職金なんて全くないかもしれません。

私はこうした瞬間(「真実の時」)が早ければ2年以内にやってくると考えています。
まずは2017年後半から2018年頃、でしょうか。

危機はその時に向けて一気に高まって行きます。
そうなると優秀な順番で公務員の皆さんは役所を辞めていくはずなのです。
これまた、企業・組織人事の現場では”常識”です。

多くの方がそこで起業を志すことでしょう。
ふと見ると、世間にはたくさんの「公務員出身の成功者」たちがいます。
ちょっとだけ例を挙げてみますと・・・

神田昌典さん(外務省)
岡本行夫さん(外務省)
佐藤優さん(外務省)
一柳良雄さん(通商産業省(現・経済産業省))
村尾信尚さん(大蔵省(現・財務省))

どうです?
実に錚々たる面々でしょう??

しかし、これから「公務員だけれども起業しよう」と思う皆さんにとっては、やや違和感がある諸先輩であることも事実だと思うのです。
何というか・・・手が届かない、というか。

それにこれらの方々は「起業」、すなわち企業を起こすというよりも、一本足打法で頑張っていらっしゃる感じがします。
経営者として、というよりも、公務員時代のバックグラウンドを踏まえて、文字どおりの「タレント(=才能ある者)」として全面開花したというのがこれらの方々の実態なわけです。

誰しもが出来ることではありません。
素晴らしいですね。
しかし・・・これから「公務員だけれども起業しよう」と志す皆さんからすると”遠すぎる話”だと思うのです。

率直にいって、参考にならない。
憧れ、ではあっても。

・・・
私・原田武夫は2005年3月に自らの意思で外務省を辞めました。
在職年数は12年。
最終的な職階は「課長補佐」でした。

そして2007年4月、誰にも教わることなく、それこそ会社の「定款」まで自分でワープロ打ちし(!)、公証人の印鑑をもらって、法務局に提出までしました。
それ以来、経営者として業を営んでいます。

年商は2015年現在、2億5千万円余。
まだまだ、と思います。次に3億円の壁、そして10億円の壁が企業経営の世界では聳え立っているからです。

それでも、足掛け8年間、アントレプレナー(起業者)として全力で駆けてきたことは事実なのです。
最初にゼロから300万円の資本金を「この手」で作った時から。
貴重なアドヴァイスを下さる数多くの心暖かい先輩経営者の方々とのシンクロニシティを楽しみながら、前へ前へと進んできました。

正直、大変なことが全く無かったのかというとそんなことはありません。
たくさんの危機があり、苦難がありました。

しかしそれと同時に、たくさんの幸運があり、喜びがあったことも事実なのです。
私は公務員から始めた職業人生を、自らの意思で「アントレプレナー(起業者)」のそれへと方向転換したことを誇りに思っています。

だからこそ、「自分もやってみようではないか」と思う、今現在、様々な公務員の現場で働く皆さんとの間で、自分自身が体験してきたこと、そこで得た知恵をシェアしたいと思うのです。

なぜならば「官=公」という時代は終わったからです。
「責任ある民=公」なのです。
そしてそれを担うのが他ならぬアントレプレナー(起業者)だからです。

次回から少しずつ、私が実際に体験してきたことを書いていきたいと思います。
経営者として、アントレプレナー(起業者)として。
もちろん、そこで得たノウハウもあますことなく書いていきます。

毎週1回、日本、あるいは世界のどこかで少しずつ書いていきます。
是非、お読み頂ければと思います。

2015年11月13日 トルコ・イスタンブール空港にて
原田 武夫記す




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