2015年11月14日土曜日

起業の勝負は初任給の貯金から始まっている。

読者の皆さん、こんにちは。原田武夫です。

「公務員から起業する」
そんなテーマがちょっとだけショッキングだったのでしょうか?前回=初回の投稿を本当にたくさんの皆さんが読んで下さいました。どうもありがとうございます。

もっとも”筋トレ”だけしていても何も始まりませんよね。
何事もまずはちょっとだけ始めてみることから始まります。

特に起業の場合にはそう、です。
私も、外務省を自主退職して個人事業主となり、最初に年間所得が1800万円を超えたあたりで本格的な「起業」を考え始めました。
その時に、当時から現在に至るまで盟友でいてくれている社長の友人に相談したのです。

「どうやったら株式会社設立という意味での”起業”は出来るのだろう?」

すると盟友社長は立ちどころにこう答えてくれました。

「よく聞かれることですけれどね。しかし”やる奴”はもう既に”やっている”。それが社長業であり、起業ですよ」

全くそのとおりだと思います。
ぐじゅぐじゅ言っている余裕なんてないのです、起業には。
「よく分からないけれども、とにかくやらねば!」と退路を断って前に進むこと。
これが起業なのですよね。
シンクロニシティとか、いろんな言い方がありますが、要するにそういうこと、です。

決断しないこと、が公務員ではしばしば仕事ですが・・・。
それだけに是非、まずは覚えておいてもらえればと思います。
起業、そして経営者になるということは「決断の連続」の日々を過ごすことになるということですから。

さて。
それでは公務員から起業するために、最初の決断はいつ、どういったことについてしなければならないのでしょうか。

その答えはズバリ・・・「初任給の一部を貯金すること」の決断です。
びっくりしましたか?
はたまた「もう遅いよー」と思ってしまいましたか?

いや、何も時計の針を元に戻して「初任給から貯金しましょう」と言っているのではないのです。
実のところ、起業というマネー・フローの世界に入るのであれば、マネー・ストックも考えなければならないということが言いたいのです。

分かりますか?
ちょっと分かりづらいですね。
私の実体験からお話しをしたいと思います。

・・・
あれは確か雑誌の「週刊SPA!」だったでしょうか。
私が外務省で任官した1993年当時、ふと目にした記事があったのです。

「男たるもの、まずは30歳までに1000万円貯金せよ!」

そんなタイトルの記事でした。
不思議だなぁと思って中を読んでみると、要するにこんなことが書いてあったのです。

・30歳頃になると人間誰しもが「俺・私ってこのままで良いの?」と思い始める
・その時、カギとなるのが職業。要するに転職するか、独立するかを考え始めるはず
・ところがそうなってから元手がないのでは話にならない
・起業するならば株式会社。株式会社があればたいていのことが出来る
・そのために必要な元手が、資本金として積むべき1000万円だ
・だから今この瞬間から男子たるもの、貯金に励むべし

当時は会社法で、株式会社を設立登記したいならば資本金として1000万円を積めということになっていました。
今では「1円会社」も設立登記が可能ですが。
しかしそうではなかったわけです。

当時、駆け出し外交官だった私は訳もなくこの”論理”に納得してしまいました。
そして「まずは貯金だ」と肝に銘じたのです。

だからこそ、在外研修で2年間をドイツで過ごした時にも車は買いませんでした。
同期たちがやれBMWだ、アルファロメオだと買っていた時に、です。

大使館勤務になってからもそうでした。
MAZDAの大衆車をリースしてもらっていたのです。

そうこうしている間に、サラリーマンであった父が亡くなってしまいました。
ドイツの地にあって悲嘆にくれていましたが、親切な税理士さんから母、そして私たち
兄弟妹はこんなアドヴァイスを受けたのです。

「お父様の遺産を全員で分割しようとすると税金がかかります。しかし、お子さんたちが相続を一切放棄し、母上に差し出すというのであれば無税なのです。どうしますか」

ははぁ、我が国の民法・家族法は実によく出来ているなぁと思いました。
要するに「内助の功」に最後の最後で報いるという仕組みになっているのです。
こんなこと、巷で売られている「節税本」には全く書いていませんよね?
でも、本当のこと、なのです。

私たち兄弟妹は二つ返事で相続放棄をしました。
しかし、ポイントはここから、だったのです。

ドイツから戻り、妻と結婚した私は最初、東京都・江戸川区に住んでいました。
地下鉄東西線で都心とつながっているところです。
「帰りも近いし、良いかな」
そう思って賃貸の、ちょっとだけ広めのアパートを借りていたのです。

そんなある日。夏のことだったと思います。
夜、地下鉄から降り、高架から階段で降りようとした瞬間に私の目に止まったものがあったのです。

私たちと同じ世代の人々の群れ、です。
一様に疲れた表情をして、黙って歩いています。
その瞬間、私はこう思ったのです。

「ダメだ、ここに住んでいては。自分の家を持とう。一刻でも早く抜け出さなければ」

そしてその週末から、妻と一緒に新居探しを始めました。
たくさんの場所を見ましたが、どうもうまくいきません。
「これはいいなぁ」と思うところ。
そんな家は必ず売価が1億円以上だったのです。
ローンを組んでも住めません。せいぜいのところ、6500万円くらいまでかなと思っていました。

色々と彷徨っている間にたまたまかつて中学・高校時代に慣れ親しんだ郊外の街に、23戸ほど一斉に開発し、街づくりをしているところに出くわしました。
なんでも土地持ちの次男坊がギャンブルで失敗し、競売にかけられたようなのです。
リクルート・コスモスが威信をかけて開発した最初の大規模案件でした。

「よし、ここにしよう!」
そう思って母に話しをしました。
父の亡骸と引き換えに得たあの遺産の一部をもって、支援をしてもらおうと思ったのです。

ところが、当時、巷に出ている節税本にはこんなことが書いてありました。
「よくあるのが親子間の貸借。しかしこれは、必ず税務署の知るところになり、重い贈与税を課されることになるので絶対にやらないように」

どうしようか・・・。
そう思案し始めたころに、リクルート・コスモスが「皆さんお困りでしょうから」と税理士を紹介してくれました。

同社の会議室で面会した税理士は開口一番、こう言って来たのです。

「お母様から融通してもらって現金、しかも即金で買われるのですか?原田さん、役人さんだからといって世の中知らないのにもほどがありますよ。今、ITヴェンチャー株とかで運用したらそのお金が一体どれくらい殖えるか分かっているのですか」



当時、正にホリエモンが世の中でもてはやされ始めた頃でした。
ヤフーや楽天といったITヴェンチャーの株価が株式分割の度に倍増していたのです。
私の心は正直、大いに揺らぎました。

すると税理士がこうも言ったのです。
「今は低金利ですから。固定の安い金利でその分借りてはいかがですか。それがベストですよ」

私は何やら不穏なものを感じました。
「虫の知らせ」とでもいうべきものでしょうか。

その場で即答を避け、例の相続の際に相談した税理士さんにセカンド・オピニオンを求めてみたのです。
するとこんなアドヴァイスを受けました。

「なるほど。そうであれば原田さん、奥様、そしてお母様が3人で共有にすれば良いのではないですか。名義は原田さんにして固定資産税は支払う。そうすれば何も問題はないですよ」

気になったのは母に万一のことがあった場合です。
結局、贈与税は回避したとしても、相続税が後々どーんとかかってくるというのでは意味がないからです。

そう尋ねた私に、税理士さんは笑い声でこう答えてくれました。
「心配はいりません。相続税の計算をする時、税務署が用いるのは公示地価だからです。これは市価より遥かに安いものです。それに建物それ自体は5年もすれば10分の1くらいの価格になってしまいます。問題はありません」

もっとも、ただ一つだけ留意事項がある、とも言われました。
それは「お母様と原田さん、そしてお嫁さんである奥さんがずっと仲が良くあり続けること」だというのです。

ここでも私はひどく納得してしまいました。
我が国の租税法は、「家族円満である」というファミリーが税制上、有利なようにしっかりと考えられているのです。
すごいことだなと感心することしきり、でした。

こうして実に的確なアドヴァイスを受けた私は、例の税理士にあらためて面会しました。
そして「即金で買うこと。ただし3人の共有とすること」を告げたのです。

するとさっきまでこちらを追い詰めるような眼差しで見ていた税理士が、ふと表情を緩めたのです。
そして母の方を向いてこう言いました。
「息子さん、よく勉強されていますね。大したものだと思いますよ」

その時、税理士は何も言いませんでした。
しかし後から考えれば何のことはない、住宅金融支援機構が鳴り物入りで広めようとしていた長期固定金利の「フラット35」を売り込むことが彼の仕事だったのです。
そのことに気付いた時、本当にびっくりしました。

・・・
初任給から始めた貯金。
そして父の亡骸と引き換えに、父からプレゼントされた母の大切なお金。

これらを集めて現金かつ即金で買ったこのころ(2000年頃)、まだ都内にも十分物件はありました。
しかもローンを組んでいませんので、フローという意味での家計へのダメージはゼロでした。

気になるのは「売り始めた直後から下がる住宅価格」という部分です。
しかしそれなりに価値が維持される東京郊外の物件であったため、それほど減価せずに現在に至っています。

そして私は2007年に株式会社を設立登記します。
その後、正真正銘の「経営危機」を体験したことは事実です。

止まらない売上減。
飛ぶように消えていくキャッシュ(現金)・・・。

無借金経営を目指していたのですが、2009年に遂に金融機関からの借り入れを決断します。

するとその時、ようやく実感として分かったのです。
「返済義務の無い不動産を所有していること」がどれだけ意味があるのかということを。

稿をあらためて説明したいと思いますが、銀行や信用保証協会が見るのは正直、ここだけ、なのです。
連帯保証人となる個人としての経営者。
その経営者が預金などと併せ、どれだけの不動産を保有しているのか。
その範囲内においてだけ、金融機関はカネを貸してくれるのです。

それが銀行審査の実態です。

「土地資本主義」とも言われる我が国においては、それが全てなのです。
そしてこのことはやれビジネス・モデルだ、ヴェンチャー・キャピタルだと言われるようになった昨今でも全く変わりがありません。

なぜならば「土地」ほど我が国で足りないものはないからです。
希少価値があるものはないからです。

お分かり頂けたでしょうか?
公務員として採用された瞬間から決まる人生の分かれ道。
それは、何といっても「貯金」なのです。

そして愛すべき家族をヒューマン・キャピタル(人的資本)として育んでいくこと。
その上に立って、初めて起業は成り立つのです。

巷の起業本には一切書いていない「真実」、いかがでしたか?
また次回も、そうした実体験に基づく本当に役立つことを書いていきたいと思います。

2015年11月14日 トルコ・アンタルヤにて
原田 武夫記す

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